みなさん、こんにちは!「駅の歴史回廊」へようこそ。
今回取り上げるのは、神奈川県横浜市保土ヶ谷区を走る相模鉄道(相鉄)本線の主要駅、「星川(ほしかわ)駅」です。
日本全国には、夜空の星や天体を連想させるロマンチックな名前の駅が数多く存在します。神奈川県横浜市の中心部からほど近い場所に位置する「星川」という美しい駅名もまた、訪れる人々に爽やかな印象を与えてくれます。
しかし、この駅名が持つ背景には、単なるイメージの良さにとどまらず、平安時代から続く保土ヶ谷最古の地名としての重みや、昭和初期の鉄道開業にまつわる驚きの歴史が隠されています。
今回は、平安の古辞書『和名類聚抄』にルーツを持つ「星川」の地名ロマン、開業当初の「北程ヶ谷駅」という名前から現在の駅名へと至る変遷、そして連続立体交差事業によって生まれ変わった現代の星川駅の知られざる由来と逸話を、どこまでも深く、圧倒的なボリュームでお届けします。
1. 星川駅の誕生と歴史:「北程ヶ谷」から始まった鉄道の歩み
星川駅の歴史は、大正時代末期に相鉄の前身である「神中鉄道(じんちゅうてつどう)」が産声を上げ、横浜と海老名方面を結ぶ路線を敷設していった時代にさかのぼります。
1-1. 開業時は「北程ヶ谷駅」という名前だった
星川駅が開業したのは、1927年(昭和2年)5月18日のことです。当時は神中鉄道の停留場として開設されましたが、当時の駅名は現在とは異なり、「北程ヶ谷(きたほどがや)駅」という名前でした。
当時の東海道本線にはすでに「程ヶ谷駅(現在の保土ケ谷駅)」が存在しており、その北側に位置するエリアに敷設された鉄道であったため、このような名称がつけられました。
その後、昭和初期の沿線開発や行政区画の整理、そして地域住民からの強い要望などを背景に、1933年(昭和8年)に現在の「星川駅」へと改称されることになります。
かつての古い地名を背負って出発した駅が、地域の歴史ある名前へとバトンを受け継いだ瞬間でした。
1-2. ガラス工場とトロッコの記憶、そして戦時下の疎開ドラマ
昭和初期の星川周辺は、現代の閑静な住宅街からは想像もつかないほど、産業の活気に満ちたダイナミックな土地でした。
駅の近くには日本硝子の工場が設立され、ビール瓶やサイダー瓶などが大量に生産されていました。ガラスの原料となる珪砂を採取するため、裏山から工場へ向けてトロッコの引き込み線が走り、帷子川の小船や筏が行き交う――そんな泥臭くも活気ある労働の歴史がこの街にはありました。
また、戦時中の1944年(昭和19年)には、星川国民学校の児童たちが近隣の寺院へと集団疎開を行うなど、激動の昭和史の波を地域住民や子どもたちが懸命に生き抜いた記憶もしっかりと刻まれています。
2. 相鉄本線の要衝:連続立体交差事業と進化を続ける高架駅
星川駅を語る上で絶対に避けて通れないのが、近年の大がかりな都市計画によって劇的な変貌を遂げた線路と駅舎の構造です。
2-1. 長年の悲願だった「連続立体交差事業」の完了
かつての星川駅周辺は、数多くの踏切が点在し、いわゆる「開かずの踏切」が道路渋滞や地域分断の大きな原因となっていました。これを抜本的に解決するため、神奈川県と横浜市、そして相模鉄道が一体となって大規模な「連続立体交差事業(高架化工事)」が長年にわたり進められました。
工事の結果、上下線の高架化が見事に完了し、周辺の踏切が一掃されるとともに、駅舎やその周辺の都市空間は見違えるほどモダンで洗練された姿へと生まれ変わりました。
現在の星川駅は、ホームが3階に位置する立派な3層構造の高架駅となり、安全でスムーズな列車の運行と、快適な歩行者空間を同時に実現しています。
2-2. 横浜都心と結ばれ、さらに高まる利便性
相鉄・JR直通線や相鉄・東急直通線の開業を経て、横浜駅を越えて東京都心へとダイレクトにつながるようになった相鉄本線。
その主要な一角を担う星川駅は、毎日の通勤・通学客だけでなく、洗練された商業施設や行政サービスが調和する保土ヶ谷区の中心拠点として、ますますその存在感を高めています。
3. 平安の古辞書に名を残す:「星川」という地名に秘められた古代のロマン
星川駅の大きなトピックとして外せないのが、駅名にもなっている「星川」という土地が持つ、圧倒的に古い歴史と神秘的な由来です。
3-1. 平安中期『和名類聚抄』に登場する保土ヶ谷最古の地名
「星川」という響きは、どこかメルヘンチックで現代的な美しいネーミングのように感じられますが、実はその歴史は極めて古く、平安時代中期に編纂された漢和辞書『和名類聚抄(わみるいじゅしょう)』のなかにすでにその名が登場しています。
これは保土ヶ谷区内に現存する地名としては最も古い歴史を誇るものであり、千年以上前の人々の暮らしの記憶がそのまま現代の駅名に受け継がれていることを意味しています。
3-2. 星の川、あるいは清らかな水の流れが育んだ郷
「星川」という名前の由来については諸説ありますが、かつてこの地域を流れる川(帷子川の支流など)の水面が夜空の星を映し出すほどに美しく澄み渡っていたこと、あるいは星にまつわる古い信仰や伝説がこの地に存在していたことに由来すると伝えられています。
近代的な高層マンションや高架橋が並ぶ現在の街並みの足元には、平安の昔から変わることなく脈々と流れてきた歴史のロマンが静かに息づいているのです。
4. 相模鉄道星川駅の逸話【番外編】
歴史の表舞台の裏側にひっそりと隠された、しかし星川駅の魅力を何倍にも深めてくれるユニークで心温まるエピソードをご紹介します。
4-1. 武蔵国唯一の式内社「杉山神社」へと続く、静かな散策路
星川駅の南口から少し足を延ばすと、武蔵国で唯一の「式内社(延喜式神名帳に記載された古社)」である格式高い「杉山神社」が鎮座しています。
日本武尊を祭神とし、平安時代の公的記録である『続日本後記』にもその名が残るほどの古社です。電車の窓から高架橋の近代的な景色を眺めたあと、一歩神社の境内に足を踏み入れれば、木々のざわめきと千年の時を超える厳かな空気が、訪れる人々の心を優しくリフレッシュさせてくれます。
4-2. かつてのトロッコ道から「県立保土ヶ谷公園」への緑の回廊
ガラス工場の原料を運んだ古いトロッコの引き込み線の名残をとどめる周辺の坂道を登っていくと、神奈川県で初めての運動公園として1957年に整備された広大な「県立保土ヶ谷公園」へとたどり着きます。
豊かな緑と広大な敷地を誇るこの公園は、春の桜や四季折々の花々が美しく咲き誇り、週末にはスポーツを楽しむ家族連れや散歩を楽しむ人びとで賑わいます。都会のすぐ近くでありながら、自然と歴史を同時に満喫できる贅沢な環境が、星川駅を最寄りとして広がっているのです。
4-3. 「星」のロマンに引き寄せられる、散策ファンたちの隠れた聖地
全国のユニークな駅名や「星」の文字がつく駅を巡る鉄道ファンや街歩き愛好家にとって、この星川駅は横浜エリアにおける外せないスポットとなっています。
「北程ヶ谷」というかつての名前の重みを知り、駅周辺の急坂や高架化されたモダンなプラットホームを見比べながら歩くと、横浜という大都市が歩んできた近代化のドラマと、平安時代からの古層が奇跡のように重なり合っていることに気付かされます。
5. 結び:平安の古き記憶と現代の立体交差が織りなす、横浜・保土ヶ谷の輝くターミナル
「星川」という平安時代からの由緒ある古き地名を宿しながら、大正時代の「北程ヶ谷」としての開業を経て、壮大な連続立体交差事業によって現代の洗練された高架駅へと劇的な進化を遂げた相模鉄道本線・星川駅。
そこは、千年の時を超える杉山神話と水流の記憶、ガラス産業や労働の汗が染み込んだ昭和の歴史、そして都心へと軽快につながる最先端の鉄道インフラが、完璧なハーモニーを奏でる奇跡のような空間です。
ロマンチックな駅名に胸を躍らせながら高架の改札を抜ければ、そこには歴史の深みと温かな日常が調和する美しい横浜の街があなたを優しく包み込んでくれるでしょう。
もし皆さんが日々の慌ただしい移動から離れ、ちょっと一味違った歴史のロマンと快適な街歩きに出かけたくなったときは、ぜひこの相鉄線の星川駅を訪れてみてください。
新しく生まれ変わったプラットホームの向こう側に広がる、時空を超えた物語が、きっとあなたの心に忘れられない最高の思い出を刻んでくれるはずです。
駅の歴史を知れば、旅や日常の移動はもっともっと深くなる。
これからも皆さんと一緒に、今は静かに、しかし熱い物語を秘めた日本の駅の数々を巡る旅を続けていきたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


