小田急:本厚木駅の由来・逸話|なぜ「本」がつく?相模川を巡る鉄道の歴史と街の発展のドラマ

小田急本厚木駅 3関東

みなさん、こんにちは!「駅の歴史回廊|鉄道駅の由来と知られざる歴史逸話」へようこそ。 普段何気なく使っている駅の背景には、教科書には載っていない面白いドラマが隠れています。

今回は、小田急小田原線の主要駅である「本厚木(ほんあつぎ)駅」を大特集します! 運行上の拠点であり、毎日多くの人が行き交うこの駅には、実はとても深い歴史があるんです。

「厚木駅があるのに、なんで『本』厚木駅なの?」という素朴な疑問を持ったことはありませんか? 今回は、そんな駅名の謎から、街の発展を巡る熱いエピソードまで、じっくり紐解いていきましょう!





1. 駅名の謎を解き明かす!「本厚木」と「厚木」のねじれ歴史

1-1. 実は厚木市にない?隣の「厚木駅」のミステリー

本厚木駅の歴史を語る上で、どうしても避けて通れないのが、隣にある「厚木駅」の存在です。 実はこの厚木駅、名前に「厚木」とついているのに、厚木市ではなくお隣の「海老名市」にあるんです!

これ、初めて知った人は「えっ、どういうこと?」ってびっくりしちゃいますよね。 なぜこんなことになったかというと、大正時代に神中鉄道(現在の相鉄線)が最初に駅を作った場所が関係しています。

当時、相模川の東側(海老名側)から川の西側にある「厚木町」を目指して線路が敷かれました。 しかし、当時の技術や予算の関係で、相模川に大きな橋を架けて川を渡ることができなかったのです。

そのため、仕方なく手前の海老名側に駅を作り、そこを「厚木への玄関口」という意味で厚木駅と名付けました。 これが、現在の海老名市に厚木駅が存在するという、ちょっと不思議なねじれ現象の始まりだったのです。

1-2. 「こっちが本物!」と主張した、小田急のプライド

それから数年後の1927年(昭和2年)、ついに小田急電鉄(当時は小田原急行鉄道)が開業することになりました。 小田急は相模川を渡り、名実ともに本物の厚木町(現在の厚木市中心部)へと線路を通すことに成功します。

このとき、小田急が作った駅の名前は、最初は「河原口(かわらぐち)駅」という名前でした。 しかし、本当の厚木町の中心部にできた駅だからこそ、地元の人々は「ここが本当の厚木だ!」と強く願ったのです。

そこで、すでに隣の海老名側にあった「厚木駅」と区別するために、ある工夫がなされました。 それが、元祖や本家を意味する「本」の文字を頭につけて「本厚木駅」にするというアイデアだったのです。

1944年に現在の「本厚木」に改称され、名実ともに「こちらが本物の厚木の中心駅ですよ!」という主張が形になりました。 駅名ひとつとっても、当時の鉄道会社や地域住民の熱いプライドが透けて見えておもしろいですよね。

1-3. 川を挟んだライバル関係?厚木と海老名の位置づけ

本厚木駅と厚木駅、そして現在の海老名駅を含めたこのエリアは、相模川を挟んで長年発展を競ってきました。 歴史的に見れば、古くから大山詣での宿場町や相模川の舟運で栄えていたのは、西側の厚木(本厚木側)です。

そのため、鉄道が開業した当初は、本厚木駅の周辺が圧倒的な地域の一番の繁華街として君臨していました。 一方で、東側の海老名エリアは、当時は広大な田んぼが広がるのどかな農村地帯だったのです。

しかし時代が進むにつれて、海老名駅周辺の開発が急速に進み、今では巨大な商業施設が立ち並ぶ街になりました。 かつて「本物」を主張した本厚木と、猛追する海老名という、川を挟んだ街のバランスの変化も非常に興味深いポイントです。

2. 小田急小田原線の開業と相模川を巡るドラマ

2-1. わずか1年半で全線開通!小田急の超特急建設

小田急小田原線は、新宿から小田原までの約82.5キロを一気に開業させるという、当時としては前代未聞のプロジェクトでした。 しかも、その建設スピードは凄まじく、なんとわずか1年半という短期間で全線が完成してしまったのです。

この驚異的なスピード建設の中で、最大の難所のひとつとなったのが、本厚木駅の手前にある相模川への架橋でした。 川幅が広く、増水することもある相模川に鉄橋を架ける作業は、当時の技術者たちにとって命がけの大仕事です。

工事現場では、昼夜を問わず突貫工事が行われ、多くの作業員たちが汗を流して鉄橋を作り上げました。 この相模川橋梁が完成したからこそ、本厚木駅は現在の場所に誕生することができたのです。

もしこの橋の建設が遅れていたら、小田急の歴史も、厚木の街の形も大きく変わっていたかもしれません。 現在の車窓から見える穏やかな相模川の景色には、当時の人々の並々ならぬ努力が刻まれているのですね。

2-2. 開業当時の本厚木駅周辺の意外な姿

今でこそ高層ビルや商業施設が立ち並び、多くの人で賑わう本厚木駅ですが、1927年の開業当時は全く違う景色でした。 当時の駅名は先ほどお話しした通り「河原口駅」としてスタートし、周辺はまだ畑や空き地が目立つ静かな場所だったのです。

当時の駅舎は木造の素朴な造りで、改札口を通る乗客の数も、今とは比べものにならないほど少なかったと言われています。 厚木町の中心街(現在の本町周辺)からは少し離れていたため、駅ができた当初は「ちょっと不便な場所にできたな」とも思われていました。

しかし、この駅の誕生が、その後の厚木の街の重心をガラリと変えるきっかけになります。 鉄道という強力なインフラができたことで、人々の流れが旧市街から駅周辺へと、少しずつシフトしていったのです。

2-3. 舟運から鉄道へ。物流の主役交代を告げた駅

小田急が開業する前、厚木の物流を支えていた主役は、相模川を行き交う「川舟(舟運)」でした。 江戸時代から明治時代にかけて、厚木は相模川の水運を利用した物資の集積地として、非常に栄えていたのです。

しかし、小田急線が開業し、本厚木駅が物資や人員の輸送を担うようになると、その構図は一変します。 船よりも圧倒的に早くて、一度にたくさんのモノを運べる鉄道の登場は、まさに文明開化の衝撃でした。

本厚木駅の開業は、厚木の街が「川と共に生きる街」から「鉄道と共に発展する街」へと脱皮する大転換点だったのです。 駅の誕生によって、古き良き舟運の時代は終わりを告げ、近代的な都市への歩みが始まりました。

3. 運行の拠点としての進化!ロマンスカーと運行管理の舞台裏

3-1. すべての列車が止まる!主要駅としての格付け

小田急線には、各駅停車から快速急行、そして特急ロマンスカーまで、たくさんの種類の列車が走っています。 本厚木駅は、これらすべての種類の列車が停車する、小田急線内でも数少ない「超・重要駅」なんです。

新宿から走ってきた急行電車の多くが、この本厚木駅を終着駅として折り返していく運行パターンが組まれています。 そのため、電車の電光掲示板や行き先表示で「急行 本厚木」という文字を目にすることは非常に多いですよね。

通勤・通学の足としてはもちろん、観光地である箱根や小田原へと向かう特急ロマンスカーも、多くがこの駅に停まります。 まさに、東京方面からの都市輸送と、神奈川西部のローカル輸送を繋ぐ、巨大な結節点として機能しているのです。

3-2. 車両基地と引き上げ線。過密ダイヤを支える心臓部

なぜ本厚木駅で折り返す電車がこんなに多いのか、不思議に思ったことはありませんか? その理由は、本厚木駅のすぐ先(小田原側)にある、電車の「引き上げ線」と、近くにある「海老名検車区」の存在です。

本厚木駅に到着した電車は、一度ホームの先にある専用の線路(引き上げ線)に入って、運転士さんが前後を入れ替わります。 そして、再び新宿方面行きのホームへと入線して、新しいお客さんを乗せて出発していくのです。

この引き上げ線があるおかげで、後ろから来る後続の特急や快速急行の邪魔をすることなく、スムーズに折り返し運転ができます。 分刻み、秒刻みで電車がやってくる小田急の過密ダイヤは、この本厚木駅の機能的な配線によって支えられているのですね。

3-3. ロマンスカーの通勤利用を定着させた立役者

小田急の看板といえば、やっぱりスタイリッシュな「特急ロマンスカー」ですよね! かつては箱根への観光客専用というイメージが強かったロマンスカーですが、その常識を変えたのが本厚木駅です。

昭和の高度経済成長期以降、本厚木周辺は東京のベッドタウンとして人口が爆発的に増えていきました。 そこで小田急は、通勤・通学客向けに「座って快適に移動できる特急」として、本厚木発着の特急を強化したのです。

これが大ヒットし、現在の「ホームロマンスカー」や「モーニングウェイ」「ホームウェイ」といった通勤特急の基盤となりました。 仕事帰りに、本厚木行きのロマンスカーでちょっと贅沢に缶ビールを飲みながら帰る、そんなライフスタイルを作った駅でもあるのです。

4. 街の発展と直結!日本初の「ステーションデパート」の誕生

4-1. 1970年代の激変。高架化と近代都市への脱皮

昭和40年代までの本厚木駅は、まだ線路が地面を走っている「地上駅」で、周辺には踏切がたくさんありました。 しかし、人口の増加とともに駅周辺の交通渋滞が激しくなり、街の発展を妨げるようになってしまいます。

そこで計画されたのが、線路を高い場所に持ち上げる「連続立体交差事業(高架化)」でした。 1976年(昭和51年)、本厚木駅とその周辺の線路が見事に高架化され、駅は近代的な姿へと生まれ変わります。

これによって街を分断していた踏切が一挙に解消され、駅の南北の行き来が驚くほどスムーズになりました。 この高架化工事こそが、現在の本厚木駅周辺の巨大な繁華街が形成される最大の起爆剤となったのです。

4-2. 駅ビル「ミロード」の衝撃と買い物文化の変革

高架化と同時に、本厚木駅にはもうひとつの大きな変化が訪れました。それが駅ビル「厚木ミロード」の誕生です。 当時は、駅の中に本格的なショッピングモールがある「ステーションデパート」という形態は、まだ珍しい時代でした。

改札を出てすぐの場所に、ファッション、雑貨、レストランが集まるオシャレなビルができたことは、地元の人々に大きな衝撃を与えました。 それまでは買い物のために新宿まで出ていた若者たちが、本厚木駅で十分にショッピングを楽しめるようになったのです。

ミロードの成功は、本厚木駅を単に「電車に乗るための場所」から「集まり、楽しむ場所」へと進化させました。 駅と商業施設が一体となった、現代では当たり前になった駅ビルの先駆けが、ここ本厚木にあったのですね。

4-3. 中心市街地の賑わいと、歩行者天国の歴史

駅の近代化に合わせて、本厚木駅の北口周辺には広大なペデストリアンデッキ(歩行者専用高架回廊)や地下道が整備されました。 さらに、駅から伸びる「一番街」などの商店街は、日本でも有数の賑わいを見せる歩行者天国として発展していきます。

最盛期には、百貨店や大型スーパーがいくつも駅周辺に進出し、神奈川県央部で最大の商業地としての地位を確立しました。 駅から一歩外に出れば、昼夜を問わず多くの人が行き交い、活気にあふれた声が響き渡る街になったのです。

鉄道駅の進化が、そのまま街の経済や文化の発展とガッチリ噛み合って進んできた最高の見本が、この本厚木駅と言えます。

5. 駅の逸話【番外編】

5-1. いきものがかりの聖地!「YELL」が響く駅ホーム

音楽ファンにとって、本厚木駅といえば大人気バンド「いきものがかり」の聖地として有名ですよね! メンバーの水野良樹さんと山下穂尊さんは厚木高校の出身で、デビュー前は本厚木駅の周辺で路上ライブを行っていました。

そんな縁もあって、2010年からは本厚木駅の列車接近メロディに、彼らの名曲『YELL』が採用されています。 上りホームと下りホームでメロディのフレーズが異なり、駅に降り立つと、あの切なくも温かいメロディが耳に飛び込んできます。

かつて駅前でギターを弾いていた少年たちの曲が、今では駅全体のシンボルとして響いているなんて、とってもロマンチックな逸話ですよね。 ファンならずとも、ホームで電車を待っているときにあのメロディが流れると、なんだか優しい気持ちになれます。

5-2. なぜか「住みたい街ランキング」で上位に君臨する理由

近年、住宅大手の「借りて住みたい街ランキング」などで、本厚木駅が何度も首都圏1位を獲得して話題になりました。 「えっ、新宿から結構遠いのに、なんでそんなに人気なの?」と不思議に思った方も多いのではないでしょうか。

その理由は、本厚木駅が持つ「圧倒的なバランスの良さ」にあります。 新宿まで乗り換えなしで、ロマンスカーを使えば座って快適に通勤できるアクセスの良さがまずひとつ。

そして、駅周辺には何でも揃う商業施設がある一方で、少し歩けば相模川や丹沢の豊かな自然が広がっている点です。 都会の便利さと、地方ののびのびとした環境がハイブリッドで手に入る場所として、今改めて評価されているのですね。

5-3. 地下道の壁画に隠された、アートな街のこだわり

本厚木駅の北口から伸びる地下道を歩いていると、壁一面に鮮やかなアート作品が描かれているのに気づきます。 これは「あつぎロードギャラリー」と呼ばれており、地元の学生やアーティストたちの作品が定期的に展示されています。

実はこれ、ただの通路を明るく見せるためだけでなく、地下空間特有の「閉塞感」をなくすための街の工夫なんです。 駅の地下という、ともすれば無機質になりがちな場所を、文化の発信地にしてしまおうという遊び心が素敵ですよね。

本厚木駅を利用する際は、ぜひ足元や壁にも注目して、街が仕掛けた小さなアートを楽しんでみてください。

6. 結び

小田急:本厚木駅を巡る歴史の旅、いかがでしたでしょうか?

お隣の厚木駅との不思議な位置関係から始まり、相模川を渡るための鉄道マンたちの熱い挑戦、 そして日本初のステーションデパートの誕生から、いきものがかりのメロディまで。 本厚木駅には、時代を超えて人々を惹きつけるたくさんの物語が詰まっていました。

普段、何気なく通り過ぎてしまう駅のホームや改札口も、 その背景にある歴史を知るだけで、いつもとちょっと違った景色に見えてくるから不思議です。

これからも、私たちが愛する鉄道駅の「知られざるドラマ」をたくさんお届けしていきます。 今回の記事が、あなたの鉄道ライフや街歩きを少しでも楽しくするきっかけになれば嬉しいです!

それでは、また次回の「駅の歴史回廊」でお会いしましょう。お相手は駅マニアのブログ主でした!

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