※【読者の皆様へ】

当ブログの記事は、インターネットや各種メディアなどの情報を元に個人が調査・作成したものです。歴史的な正確性や専門的な検証を保証するものではありません。あくまで「知識のきっかけ」や「エンターテインメント・読み物」としてお楽しみいただけますと幸いです。情報のご利用・ご判断は、読者様ご自身の責任において行っていただきますようお願いいたします。重大な誤りや問題のある表現がございましたら、「お問合せフォーム」よりご連絡いただけますと幸いです。

*******

東急:長津田駅(神奈川県横浜市)の由来・逸話|「長い津田」の古い歴史と、複数の鉄道路線が交差する横浜北部の巨大ジャンクション

東急長津田駅 3関東

みなさん、こんにちは!「駅の歴史回廊」へようこそ。

今回取り上げるのは、神奈川県横浜市緑区に位置し、東急田園都市線、こどもの国線、そしてJR横浜線が交差する横浜北部の一大交通拠点、「長津田駅(ながつたえき)」です。

日本全国の鉄道駅には、かつてのどかな農村や古い地名をその名に宿し、時代とともに幾重もの鉄道路線が集まる重要なジャンクションへと劇的な変貌を遂げた特別な停車場が存在します。

そのなかでも、東急電鉄の車両基地や大規模なネットワークの要所として、多くの通勤客や鉄道ファンが行き交うのがこの長津田駅です。近代的なベッドタウンとしての顔の裏側に、どのような深い歴史と驚きのドラマが隠されているのでしょうか。

今回は、長津田という駅名に隠された古い地形と歴史、かつての横浜線の開業から東急田園都市線の延伸がもたらした鉄道のドラマ、そして現代の街並みと交差する長津田駅の知られざる逸話を、どこまでも深くお届けします。





1. 長津田駅の誕生と歴史:横浜線の開業から、東急田園都市線の接続へ

長津田駅の歴史は、明治時代後期に遡り、地域の物流や交通の近代化を担った鉄道の敷設から始まります。

1-1. 横浜鉄道(現・JR横浜線)による開業と、農村地帯の変遷

長津田駅が開業したのは、1908年(明治41年)9月23日のことです。当時は横浜鉄道(現在のJR横浜線)の駅として産声を上げました。

開業当時、この周辺は鶴見川流域に広がる豊かな農村・里山地帯であり、周囲には田畑や雑木林が広がっていました。横浜線は生糸などの物資輸送や地域の足として開業し、長津田駅ものどかなローカル駅としての一歩を踏み出しました。

1-2. 東急田園都市線の延伸と、こどもの国線の接続

昭和に入り、東京急行電鉄(東急)による「田園都市線」の建設計画が大きく前進すると、長津田駅にとって歴史的な転換期が訪れます。

1966年(昭和41年)に東急玉川線・大井町線系統からつながる田園都市線が長津田駅まで延伸され、渋谷方面へ直結する大動脈の拠点となりました。

さらに、1967年(昭和42年)にかつての軍用路線をルーツに持つ「こどもの国線」も長津田駅を起点として接続し、駅は横浜北部を代表する巨大な鉄道ジャンクションへと劇的な進化を遂げました。

2. 改良工事

2-1. こどもの国線ホームが専用に

東急田園都市線・こどもの国線の長津田駅は、1973年時点で1面2線の田園都市線ホームと長津田寄りのホームを一部切り欠いたこどもの国線ホームで営業を行っていました。将来の田園都市線延伸時には専用のホームを整備することから、開業時点では仮設の木造ホームとなっていたのです。

1973年(昭和48年)7月、将来の当駅 – 二子玉川園 – 渋谷 – 地下鉄半蔵門線都心方面への乗り入れと急行運転に向けた大規模な改良工事が開始されました。こどもの国線ホームは田園都市線上りホームのさらに北側に専用ホームを設置し、1974年(昭和49年)7月から新ホームで営業を開始しました。

2-2. 田奈1号踏切廃止

長津田駅の田奈駅寄りには横浜線・田園都市線と東京都道・神奈川県道139号真光寺長津田線との踏切(東急では田奈1号踏切、国鉄→JR東日本では柿生踏切)があり、田園都市線に残された最後の踏切となっていました。

踏切解消に向けて1986年(昭和61年)2月7日から立体交差化工事(道路を掘り下げるアンダーパス)が着手されました。地下道、地下歩道は1989年(平成元年)に完成・供用を開始し、12月4日に田奈1号踏切・柿生踏切は廃止されました。

3. 地名のミステリー:「長津田」という名前の由来と、古い歴史の物語

長津田駅の最大のトピックであり、独特の響きを持つ「長津田(ながつた)」という名称の由来と、歴史的背景には非常に古いルーツがあります。

3-1. 地名「長津田」のルーツと地形の伝承

「長津田」という地名は、鎌倉時代や室町時代の古文書にもその名が登場するほど歴史が古く、かつての地形や水利に由来すると伝えられています。

かつてこの地域を流れる河川や湿地帯、あるいは「津(港・渡し場)」に関連する地形が長く続いていたことから「長津田」と呼ばれるようになったという説や、古い豪族の歴史に結びついているという説があります。

なお、多くの人が「ながつだ」と濁って発音しがちですが、正式な駅名・地名は「ながつた」と濁りません。ローマ字表記も「Nagatsuta」となっています。

3-2. 大山街道の宿場町として栄えた歴史

長津田の周辺は、江戸時代に江戸から大山(阿夫利神社)へ向かう参詣道である大山街道(旧大山道)の宿場町(長津田宿)としても大いに栄えました。

旅籠や商家が軒を連ね、多くの旅人で賑わった歴史の足跡が、今も街のあちこちにひっそりと残されています。

4. 東急長津田駅の逸話【番外編】

歴史の表舞台の裏側にひっそりと隠された、しかし長津田駅の魅力を何倍にも深めてくれるユニークで心温まるエピソードをご紹介します。

4-1. 東急の心臓部!巨大な「長津田検車区」の秘密

長津田駅の近くには、東急で最も規模が大きい車両基地(長津田検車区・長津田工場)があります。この車両基地は、田園都市線やこどもの国線を走る電車たちのメンテナンスや検査を行う、いわば東急電鉄の心臓部です。

車両基地「長津田検車区」は、敷地の中に神奈川県横浜市と東京都町田市の都県境が通っており、車両が多く休む西側の最深部エリアは町田市に属しています。

非常に多くの列車が停まっている光景は圧巻です。横浜線の車窓や跨線橋から広大な車両基地が一望できる、鉄道ファンには知られたスポットとなっています。

4-2. 新車が搬入される「秘密の渡り線」

 JR横浜線と東急田園都市線の線路は、一見分断されているように見えますが、実は繋がっています。

東急電鉄や直通する東京メトロなどの新型車両が工場から運ばれてくるとき(甲種輸送)は、JRの線路を通って長津田駅まで牽引され、駅構内にある特別な連絡線(授受線)を使って東急側の線路へと引き渡されます。

4-3. 工事の遅れと仮開業

 1966年4月の東急田園都市線の延伸開業時、国鉄(現・JR)横浜線との連絡跨線橋の工事が間に合いませんでした。

そのため、東急長津田駅は見切り発車のような形での開業となり、当初は1面1線の小規模なホームからスタートしました。

田園都市線が2面4線化されたのは、1977年(昭和52年)3月でした。

4-4. 改札の中にある改札(こどもの国線)

東急田園都市線の改札の中には、さらにもうひとつ独立した改札口があります。これは、横浜線からの乗り換えや運賃体系が異なる東急こどもの国線へ乗り継ぐための改札です。

改札口の中の改札口というマトリョーシカのような珍しい入れ子構造になっています。

4-5. ホームの番号が異なる鉄道会社の通し番号

長津田駅は、異なる鉄道会社(JR東日本・東急電鉄・横浜高速鉄道)が乗り入れる共同使用駅ですが、ホームの番線表示は分けられず、すべて通し番号(1番線から7番線)になっています。

  • 1〜2番線: JR横浜線
  • 3〜6番線: 東急田園都市線
  • 7番線: 東急こどもの国線

5. 結び:長い歴史の地名と鉄道の未来を胸に、明日へ走り出す横浜北部の要衝

かつての古い大山街道の宿場町や、のどかな里山の風景から、明治の横浜線の開業、そして東急田園都市線の延伸という歴史の大きなうねりを乗り越えて進化を続け、横浜北部を代表する巨大な鉄道ジャンクションへと成長を遂げたJR・東急の長津田駅。

そこは、街道の歴史が育んだ人々の営み、近代交通網の敷設がもたらした都市の飛躍、そして毎日を安全に駆け抜ける電車たちの躍動感が、完璧なハーモニーを奏げる奇跡のような空間です。

「長津田」という誇り高き名前に胸を躍らせながらプラットホームに立てば、そこには洗練された街の空気と、未来へ向かって新しい日常を創り出す人々の確かな気配があなたを優しく包み込んでくれるでしょう。

もし皆さんが日々の慌ただしい日常から離れ、歴史ある街道の面影や、鉄道のロマン、そしてその裏に眠る深い歴史の物語を味わいたくなったときは、ぜひこの長津田駅を訪れてみてください。改札口を出たその瞬間に広がる、時空を超えた文化と歴史のエッセンスが、きっとあなたの心に忘れられない最高の思い出を刻んでくれるはずです。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

タイトルとURLをコピーしました