みなさん、こんにちは!「駅の歴史回廊」へようこそ。
今回取り上げるのは、かつて岐阜県岐阜市を走っていた名古屋鉄道(名鉄)揖斐線の駅、「尻毛(しっけ)駅」です。
日本全国には数多くの駅がありますが、これほどまでに一度聞いたら忘れられない、そして一度口にしたら思わず微笑んでしまうようなインパクトを持つ駅名はそう多くありません。
その読みから「珍地名」の代名詞として鉄道ファンの間で語り草となってきたこの駅には、一体どのような歴史と、地域住民に愛された物語が眠っているのでしょうか。
2005年にその役割を終え、今はもう駅舎も線路も残っていない「幻の駅」ですが、その記憶は今なお多くの人々の心に鮮明に刻まれています。
今回は、かつて岐阜の街を駆け抜けた名鉄揖斐線の小さな名駅の物語を、深掘りしていきます。
1. 尻毛駅の誕生と歴史:激動の時代を駆け抜けた鉄道の鼓動
尻毛駅の歴史は、今から100年以上前、大正時代の鉄道建設ラッシュにまで遡ります。この地域の交通の変遷は、岐阜という街の発展そのものでした。
1-1. 大正の鉄道ブームと「岐北軽便鉄道」
尻毛駅が開業したのは、1914年(大正3年)3月29日のこと。当時は「岐北軽便鉄道」という名称で、忠節駅から北方町駅の間を結ぶ路線として産声を上げました。
当時、軽便鉄道として開業したこの路線は、地元の産物や人を運ぶ重要なライフラインとして、沿線住民の期待を背負って誕生しました。その後、
名鉄のネットワークへと組み込まれ、地域の発展とともにその姿を変えていくことになります。
1-2. 歴史の荒波と再起の物語
尻毛駅の歴史は、順風満帆だったわけではありません。1938年(昭和13年)、長良川の河川改修工事という大掛かりなインフラ整備のため、当時の忠節駅から尻毛駅までの区間が一時休止を余儀なくされました。
しかし、翌1939年には早くも運行を再開。幾多の困難を乗り越え、戦時下も、そして戦後の高度経済成長期も、尻毛駅は岐阜市民の「足」として走り続けました。
1-3. 終焉の時
1972年には無人化され、ひっそりと地域を見守る駅となりましたが、長年愛された揖斐線そのものの廃止に伴い、2005年4月1日をもってその長い歴史に幕を下ろしました。
開業から廃止まで約91年。そこには、多くの通勤・通学客のドラマが詰まっていました。
2. 「尻毛(しっけ)」という地名のナゾ:湿地帯が育んだユニークな響き
なぜ「尻毛」という、インパクトの強い地名になったのでしょうか。そこには、かつての地理的環境と、先人の知恵が隠されていました。
2-1. 湿地帯が生んだ「湿気(しっけ)」
もっとも有力な説として知られているのが、地元の地形に由来するものです。
この地域はかつて湿地帯が多く、非常に湿気が多かったことから、その「湿気(しっけ)」という言葉が転じて「尻毛」という字が当てられたと言われています。
文字面だけを見ると、体の一部分を連想させるユニークな名前ですが、そのルーツは、土地の湿り気という極めて現実的な自然現象にあったのです。
2-2. 川の合流点としての「尻」
また、地勢学的な観点からは、「尻」という字は「一帯の末端」を意味するとされています。
この付近では、板屋川と伊自良川が合流しており、かつてはこの土地が川の合流点、あるいは輪中地帯の「末端」にあたる場所であったことから、その名が付けられたという推察もあります。
草木が風になびく「毛」のような様相と、土地の端を指す「尻」が組み合わさった……そう考えると、何とも風流で、郷愁を誘う地名に思えてきませんか?
2-3. 「しっけ」か「しりげ」か?
その名称の珍しさゆえに、テレビ番組や雑誌などでしばしば取り上げられました。
過去にはバラエティ番組内で「しりげ」と誤読されたこともありますが、地元では頑なに「しっけ」と読み続けてきました。
この「呼び名へのこだわり」こそが、地元住民がこの地名を愛し、誇りに思っていた証拠と言えるでしょう。
→ なんて読む? 日本の珍地名「尻毛」(ITmedia)
3. 尻毛駅が愛された理由:路面電車の温かな風景
駅舎がなくなった今でも、多くの鉄道ファンや地元の高齢者たちがこの駅を懐かしむのには、それなりの理由があります。
3-1. 岐阜市内線との直通運転
尻毛駅があった揖斐線は、岐阜市内線との直通運転を行っていました。
住宅街を走る路面電車が、そのまま街中の大通りへ乗り入れていく風景は、当時の岐阜市内では日常の光景でした。
尻毛駅から電車に乗り込めば、乗り換えなしで岐阜の繁華街へ行ける。その利便性が、かつての沿線住民にはなくてはならないものでした。
3-2. 駅にまつわる小さな逸話
かつて、尻毛駅には駅員さんが常駐していた時代がありました。
また、駅周辺にはスーパーマーケットなどの施設も並び、地域コミュニティの中心としての役割を担っていました。
朝の通学時、友人たちと並んで電車を待ったあのホームの空気感は、廃止から時が経った今も、人々の記憶の中に色あせず残っています。
3-3. 「隣の駅」とのコンビネーション
尻毛駅といえば、必ずセットで語られるのが隣の「又丸(またまる)駅」です。「尻毛(しっけ)」と「又丸(またまる)」。
この並びは鉄道ファンにとってたまらない「珍地名コンビ」であり、沿線を走る電車の車内アナウンスを聞くたびに、思わず顔を見合わせた旅人も少なくなかったはずです。
4. 駅の逸話【番外編】
歴史の裏側に隠された、もっと掘り下げたくなるような面白いエピソードをさらに紹介します。
4-1. 幻の「中濃電気鉄道」計画
大正時代、尻毛駅付近から本巣郡山添村(現在の本巣市)を結ぶ「中濃電気鉄道」という路線の計画が存在したことをご存知でしょうか。
残念ながらこの計画は実現しませんでしたが、もし完成していれば、尻毛駅は今よりもさらに重要な接続点となっていたかもしれません。
当時の人々が描いた「夢の鉄道網」の名残を、駅の歴史から感じ取ることができます。
4-2. 名撮影地として賑わった「尻毛橋」の絶景
尻毛駅の近くには、伊自良川を渡る「尻毛橋」という鉄橋がありました。
ここは、美しい山容を誇る金華山を背景にして、軽快に走る列車をカメラに収めることができる、鉄道ファンにとって垂涎の名撮影地として非常に賑わいました。
四季折々の風景の中で、地域を支えた路面電車が川を渡る姿を捉えようと、多くのファンがカメラを構えて訪れたのです。その美しい一枚は、今もファンのアルバムの中で生き続けています。
4-3. 鉄道ファンによる「ホームの記憶」
かつて、尻毛駅のホーム跡には、線路が剥がされた後も長い間、かつての構造の一部が残されていました。
多くの鉄道ファンが、この「遺構」を訪れ、かつて路面電車がこの場所を駆け抜けていた時の姿を想像しました。
2009年頃には護岸工事により完全にその痕跡も消えてしまいましたが、多くの写真や記録が、この駅が確かにそこに存在し、多くの人々を運んでいたことを証明しています。
5. 結び:名駅が残した、ささやかな足跡
尻毛駅は、今は地図から消え、風景の中からもその姿を失いました。しかし、その駅名が持つ独特の響きと、そこに住む人々、利用する人々の日常を支えた歴史は、決して消えることはありません。
岐阜の街から少し離れた、静かな住宅街を吹き抜ける風。 かつて線路があった場所を通り過ぎる時、どこからか電車のモーター音が聞こえてくるような気がしませんか?
「湿気」という名前の由来が示すように、この土地は古くから多くの命を育み、人々の生活を優しく包み込んできました。尻毛駅は、そんな岐阜の日常を見守る、小さくも偉大な「心の停車駅」だったのです。
歴史を追いかける旅は、時に切なく、しかしとても温かいものですね。 これからも皆さんと一緒に、今はなき駅の物語や、忘れ去られそうな地名の由来を辿り、その記憶を大切に守り続けていきたいと思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!


